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夫婦の謎(12/12) ~第三の性~ [哲学]

 エラそうなことを言っているが、実はアニキもできてない。そういうもんだということはわかっていても、この修行はかなり手厳しい。なんとなく簡単そうに見えるのだが、なかなか手強いのだ。本当は、「こうやれば簡単だ」みたいなノウハウを披露できればいいのだが、そうはいかずに四苦八苦だ。奥さんの機嫌は刻一刻と変化し、まさに百面相だ。そして、こちらから話を聴くという作業をコツコツとやっていると、その矛先が段々と自分に向いてくる。その後、家事を手伝おうとすると、それを当たり前だと思い、当てにするようになる。「なんだ、この生き物は!」と吠えたくなる衝動に駆られる。なかなか厄介なのだ。でも、関係は以前よりはよくなっているという認識はあるものの、休みの日は疲労困憊だ。趣味人間であるアニキは、休みには全く自分の趣味に費やす時間がなくなってしまった。これではいけないと思いつつも、抜け出せずにもがいている。その姿はまさに行者だ。奥さんという名の魔物を封じ込める修行なのだ。
創造主はなぜか結婚というしくみを作った。結婚は人間が便宜上作ったものにすぎないかもしれないがな。創造主は結婚ということじゃなく、子孫繁栄には男と女が関係を結ぶというしくみを作った。この意味をもっと真剣に考えるべきではないのか。生物のほとんどは、雄と雌で子孫を繁栄させるしくみになっている。人間以外の他の生き物は、古来よりずっとオスとメスとでよろしくやっているのに、人間だけがこじれている。
そんなんじゃ、創造主は新たな第三の性をこの世に誕生させるかもしれない。そしてその第三の性は、女と結婚して子孫を残すようになると、男は自然と絶滅してしまうというストーリになる。そうならないために、まだ男と女という二種類の性しか存在しないうちに、克服しておかねばならないのだ。だから、よく考えろ!というのだ。第三の性が出てきたら、創造主はすでに男を絶滅させるという目的で動きはじめたということだから、その時にはもう遅いのだ。男達はバカだから、戦争や迫害などという手段を執って、「異端な者」として第三の性を葬ろうとするかもしれない。第三の性は突然変異的にこの世に現れる。しかし、それは突然変異ではなく、必然だ。創造主が送り込むものはすべて必然だ。世に中に偶然などない。すべては必然と考えるべきで、偶然と考えること自体、考えることをあきらめたということを意味するのだ。
だからなぜ、人間は夫婦という核を最小単位としているのかも考えるべき問題だ。人間社会において、最低限の組合わせが夫婦だ。「それをうまく生かして人生を組み立てろ」ということなのだろう。そう考えると、人生の修行とは夫婦関係なのかもしれない。そうは言ったものの、アニキの家にも乗り越えねばならない強大な修行対象が存在する。コイツを修行で乗り越えろとを考えると、ツバも乾くぜ。何の準備もしていない状態でいきなり、「エベレストを登頂しろ!」言われているに等しい。それほどの修行なのだ。
 ソクラテスも偉大な哲学者になったのは、奥さんが悪妻だったからだという。じゃあ、もしかするとアニキも、偉大なサラリーマン哲学者になれるかもしれない。


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