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人生の準備期間「学校」(12/17) ~おもちゃ好き~ [哲学]

 「これからの社会」という大海は大荒れだ。穏やかな日はほとんどない。そんな状況になるだろうことを、大人はみんな知っている。今まではよかった。穏やかな海があり、多少の高波は来るだろうが、小舟で釣りでもしながら航海できた。そして、嵐の海でも、優秀な日本企業の船に乗っていれば、嵐のことなんか考えないでもよかった。船があまりにも大きく安定していたため、船の中に居たのなら外で嵐が起こっていることすらわからなかった。しかし、これからは違う。海は大荒れ、日本企業の船も老朽化している。エンジンも大きくて古いし、燃料も食う。図体ばっかりデカイから、方向転換すらなかなかできない。そんな状況で旅立つことになるから、前途ある若者は次々と海の藻屑となる。そうならないためには、義務教育の間に武器を手に入れないとダメなのだ。
 それがまず、「運」という武器だ。ロールプレイングゲームなんかだと、「運」なんて武器はぜひほしいよな。その「運」という武器を手に入れる為には、「心」が必要となる。世の中はそういうしくみになっている。だから、心を手に入れてそれを行動で示さねば、日本人の子どもは酷い目に遭うことになる。「心が運を手に入れる」ということがわかれば、みんな自然とそれに向かっていくはずだ。そして、義務教育で「運」のベースを学んでおけば、高校でさらにそれに磨きをかける。そうなると、その先ですごいことが起こってくる。
 高校生ともなれば、カラダはほぼ大人だ。でも、心は子どものままという輩が多い。中身が空っぽな奴も実に多い。まだまだ心が磨かれていないからだ。心が子どもままだと、人はおもちゃに逃げる。子どもはおもちゃが好きだ。おもちゃを「好きなこと」と言い換えてもいい。
 例えば、心が未熟な高校生は繁華街というおもちゃに興味を示す。べつに、繁華街だけがおもちゃじゃない。バイクでも何でもいいが、あくまで一例として挙げる。要するに、おもちゃのレベルが変わっただけで、思考は幼児と同じである。アニキは、繁華街に群れる高校生を見て、まだまだ幼いなと感じる。繁華街が好きだという心理はおもちゃが好きだというのとかわらない。おもちゃ好きは決して悪いことではない。アニキも趣味人間だから、高額なおもちゃに囲まれて生活している。かみさんからよく嫌みを言われるが、人は元来おもちゃ好きという原始機能があるから、それはそれでよい。
 ただ、繁華街の高校生の群れは、おもちゃに逃げているだけだ。自分の信念があってそうしているわけではない。「逃げているだけ」ここが重要なポイントだ。そこが大人と違うところだ。大人は信念という軸があるから、おもちゃに溺れない。信念がないと心がおもちゃに負けて、おもちゃに溺れてしまう。そこから、人生の道が曲がってゆく。アニキは、「それが残念だ」と言うのだ。「道が曲がること」それも人生だから、それはそれでよいかもしれない。だが、道が曲がってしまった分、どこかでその修正が必ず入るのが人生だ。わかりやすく言えば、心があってもそれを成長させないでおもちゃに振り回されていると、創造主がそのおもちゃを取りあげて無理矢理方向修正させられる。病気や事故などの手段を使ってな。
 それは、かなり回り道することになり、人生の大半が過ぎてしまうから、実にもったいないのだ。


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