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アニキの「信者論」(4/12) ~一匹オオカミ~ [哲学]

 心が繋がった信頼関係は、一朝一夕では成り立つ関係ではないことがわかる。飲み屋で意気投合した相手ではないとすると、それは一体どんな関係なのだろうか。別にアニキが言わなくとも、なんとなくわかるだろう。一言で言えば、本当に困った時に手助けしてくれる関係だ。自分に余裕のあるときに周りに集まる連中ではない。自分がどん底にいるとき、手を伸ばしてくれる相手であり、真の友を見極める時と同じだ。
 やはり、長い年月苦楽を共にした相手は、困った時に手をさしのべてくれる。しかもそれは一方的なものではない。持ちつ持たれつというやつだ。人生はわざと浮き沈みが付けられている。人生はシーソーゲームだ。ミスチルの歌にもあるだろう。みんな、そんなことはわかっている。ただ、実生活において、なかなかできないだけだ。しかも、持ちつ持たれつという双方向の関係となるとさらに難しい。
 一方向ではダメなのか?とよく訊かれる。だって、「前述の母親の場合は一方的な関係じゃないか?」と思うかもしれないが、よく考えればそんなことはないことがわかる。母親と子どもの関係は一方向ではない。確かに生まれたての子どもはなにもできないから、全部を母親に委ねた状態だ。しかしその子どもが一人前になった時、反対に母親を気遣う。母親が元気なうちはあまり気にしないかもしれないが、段々衰えてくると、自然と今度は子どもが気遣う番だ。母親との信頼関係においては、タイムラグがあるだけで、お互いがそれを心でしっかり受け止めているといえる。父親も一緒だ。父親の場合は、長い年月自分のことを育ててくれたという想いが伝わると、そこに信頼関係が芽生える。子どもは、「自分ひとりで大きくなったんじゃない」と気づくことができた時、本当の意味での親子間の信頼関係のスクラムは完成するのだ。
 こんな話をすると、「俺はだれの世話にもならねえ」、「俺は一匹オオカミ」などと豪語する奴もよくいるのだが、鼻で笑いたくなる。確かにホンモノの一匹オオカミなら大したものだが、そんな奴はなかなかいない。というよりは、アニキはかってホンモノの一匹オオカミは見たことがない。大概、自分のことを一匹オオカミなどと宣う奴は、仲間とつるむのが嫌で、一人で行動している寂しい奴だ。要は、はずれ者だ。
 まず言っておくが、一匹オオカミとは、仲間はずれのオオカミのことではない。一匹で群れに対抗できる実力を持つオオカミのことだ。現代風に言えば、一人でも恐れられる存在だろう。仲間とつるむ必要がない人だ。軍団で行動しなくとも、一人ですべて成り立ってしまう人をいうのだ。しかし、本当はその人も寂しいのだが、それを言わずに頑張ってしまうところがある。だが、こういう人は病気になりやすいのだ。信者がいないと、ストレスが体内に溜まってしまい、それが毒となりカラダを蝕むのだ。一匹オオカミ的な生き方をしている奴を見かけたら、そいつが拒否しようがどうしようがおかまいなく、早く仲間になってやるのが人情というものだ。
 一匹オオカミ的な野郎は、しつこい奴が本当は好きなのだ。

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