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アニキの「信者論」(2/12) ~モビルスーツ~ [哲学]

 ではなぜ、子どもは生まれてくる最初から、母親を信頼できるのだろうか。ここに人間出生の秘密がある。そう、アニキ哲学における概念のひとつは、子どもが親を選んで生まれてくるという考え方だ。この説はいろんな人が提唱しているが、アニキにとってもこの考えは充分に腑に落ちる。この概念に当てはめても、そこに矛盾はない。どういうことかと言うと、生まれてくる前に子どもは、自分の親となる人が信頼に足る人かどうかをすでに見極めている。「信頼に足る」と感じるから、その母親から生まれてこようと決める。だから、生まれた瞬間から、安心してすべてを母親に委ねることができるのだ。
 人間は、最初のひとり目の信者は生前に自分でしっかりと観察して決める。生まれる前はある意味万能だ。あの世にいるわけだから、修行中ではない。頭も心もしっかりしている。そこでじっくりと自分が信頼をおける母親をまず探すのだ。生まれた瞬間に痛めつけられるような母親なんか選ぶわけはない。修行の最初で退場となってしまうことは誰だって避けるだろう。そんな感じで信者の一人目を自分で選んでこの世に誕生するわけだ。しかし、生まれた後は話が違う。ただの赤ん坊となって修行を開始するわけだから、あの世での記憶も万能な心もない。オシッコひとつできないただの赤子である。そこからは、未熟な脳と心で自分の信者を自ら作っていかなければならない。母親という唯一の信者の元で、修行が開始するわけだ。
 ここで疑問があるはずだ。なぜ、父親が信者として登場しないのか?と。父親が当然二人目の信者ではないかと思うかもしれないが、父親は母親と違って最初から信者ではない。父親と母親では子どもが生まれたときの喜びに差がある。共にうれしいのはうれしい。だが、その喜びの大きさは断然母親が上である。そりゃ当然だろう、10ヶ月も自分のお腹に同居していた住人だ。一人の人間のカラダの中に、二つの魂が同居していたことになる。カラダとは今世の乗り物だと、過去ブログ「今世の乗り物を乗りこなせ」でも話した。まあ、わかりやすく乗り物というよりは、モビルスーツと言い換えてもよい。次の魂のために、一生懸命にモビルスーツを作っていたわけだ。まだ操縦者のいないモビルスーツを製造し、整備している。そこに、操縦者(魂)が乗っているのである。子どもの魂は、10ヶ月間母親がせっせとモビルスーツを作っている間に乗り込んでくる。いつの間にか乗り込んできて、操縦席に座って発進の指令を待つ。待機中のモビルスーツだ。母親は操縦者(魂)が乗り込んでくるとわかるという。乗り込んできた魂と母親の魂は会話し、コミュニケーションをはかるわけだ。そんな親密な関係が母親の中ですでにできあがっているものの、父親は何が起こっているのかさっぱりわからない。だから、出生段階において、父親は子どもにとってはまだ信者ではない。
 父親諸君よ、がっかりしないでくれ。諸君が生まれてくるとき、男を選らんだのは自分なんだからな。そう、性別だって自分で決めて生まれてくるのだが、まあこの話は別の機会にしよう。

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