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夫婦の謎(9/12) ~「いい人」という副産物~ [哲学]

 心が物事の判断基準であり、そんな大事なものを会社に置いてくるような生き物が男だ。
 話を元に戻そう。まあ、そんな勝手な生き物なのだが、フッとしたことから家庭の現実を見てしまうことがある。雑誌やテレビなんかで、家庭の問題なんかが特集されていたり、ドラマなんかで家庭のシーンなんかあったりすると、自分の家庭と照らし合わせたりすることがある。すると、奥さんが一人で四苦八苦している現状が見えてしまう。そこを後ろめたいと思っているところもあり、その労をねぎらおうという気持ちはけっこうあったりする。が、男は不器用だ。その気持ちをその場で表現できないものだから、それで、定年後に奥さんと旅行に行ったり、同じ趣味を持って楽しく過ごそうなどと考える。それで罪滅ぼしができると思っている。しかし、これはあくまでも男の論理だ。奥さんから見えれば、一番大変な時期に見向きもしてくれなかったダンナと、定年後に楽しく過ごそうなどとは考えていない。生活のためと思い、これが自分の役割だと割り切って、家事をこなしダンナ面倒も看る。定年後、これ以上ダンナの面倒を看るのはウンザリだ。働かなくなったダンナなど、駄馬にも劣る。定年後離婚なんてそんな心境だろう。奥さんはすでに自分のコミュニティを持っている。男には存在しない生涯の友達をたくさんもっている。その友達と仲良くして日々ストレスを発散しているから、ダンナの存在などは不要なのである。奥さん達は、ダンナの悪口が共通の話題で、皆、同じ苦労をしてきた間柄だから、絆も強い。ダンナが仕事で見向きもしない時に、子どもを預かってくれたり、ご飯は作って持ってきてくれたりという「手間返し」という貸し借りで友となり、数十年の付き合いだ。それはまさに、戦友だ。
 反対に男は、定年後生涯の友達もいない。友達作りからスタートしなければならない。友達作りという営業がそこから始まる。そこでは、仕事時代のような利害は存在しないから、人間性だけで勝負だ。定年間際まで効いたワガママなんか出せば、総スカンだ。仕事時代の肩書きなんて、名札にもならん。いい人かどうかだけだ。いい人になるために磨きをかけて仕事をしてきたかどうかだ。しかし、いい人になることが目的であってはならない。いい人とは、副産物である。厳しい仕事をこなす中で培ってきた気配りだとか、人間関係作りだとかの副産物でいい人ができあがる。いい人を目指すなど言語道断だ。「いい人になること」を目標において、具体的に何をするって言うんだ?周りを見てみればいい、「いい人」と言われる人は皆、副産物としてそう言われているだけで、目指してなったような人はいないはずだ。ひとつ補足しておくが、ここでの「いい人」とは、可もなく不可もなく的な嫌みの「いい人」とは異なるから、混同しないでくれ。

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