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夫婦の謎(3/12) ~「狭い心」と「広い心」~ [哲学]

 アニキはいつも疑問に思うのだが、子どもの頃になんでもっと心の柔軟性を鍛えておかなかったのか。しかし、どこを探しても、子ども時代に心を広くするカリキュラムなんか存在しなかった。大人になってもなかなかない。大金出して、自己啓発セミナーかなんかを受ける以外に、アニキは知らない。カラダを柔らかくするのは、大人になってからでは難しいのと同じで、心だって大人になってから柔軟にしようと思っても、心も固くなってるから難しい。偏見や固定観念などでカチカチだから、伸び縮みさせようと思っても容易ではない。無理に柔らかくしようと引っ張ったり押しつぶしたりしようものなら、ひびが入って取り返しがつかないことになる。やっぱり、若い時にやっておかなきゃなんないよな。
 「心が狭い」って言葉が日本語にはあるだろう。皆、よく使うよな。これは、心の大きさを差しているのではなく、伸び縮みする心の幅を差している。大人は充分わかってんだよ、心が狭いことの弊害と広いことの大切さを。なのに、なぜかずぅっと野放しだ。日本には頭のいい奴が山ほどいるのに、気がついてないわけがない。心の柔軟性こそが、社会を良くすることに気づいているはずだ。どう考えても、学校は勉強を教えるよりも、絶対こっちが大事だろう。なのに、勉強やスポーツばかりに目が向いている。学校だけじゃない、社会だってそうだ。心が広いとか、心が優しいとかって、全く評価されない世の中んだよな。本当はこれができれば、間違いなく世界一よい国になるのに。
 そんな狭い心を持ったまま大人になって、じゃあ死ぬまで狭いままなのか?というと、そうでもない。そんな奴も中にはいるだろうが、大概は自分の人生経験を通して、広くしている。知らず知らずの内に、ストレッチをしているのだ。それは失恋や身近な人の死、はたまた大きな失敗などだ。天狗になった鼻を思いっきりへし折られるような状況だ。そこで人は立ち止まり考え、再び社会へのやる気を起こすことになる。要するに、世間一般に言われる「逆境」だ。ところが最近は、そんな逆境に立ち向かうことをよしとしない風潮がある。失敗を恐れてチェレンジしなかったり、裏切られるのが嫌だからと、人との付き合いをわざと浅く保つなどだ。逆境はつらいもの。それを極力避けて、事なかれ主義を貫く。まあ、運動嫌いの心版だな。カラダのストレッチなら、人生そのものには影響ないだろう。だが、心は別だ。人生、何をするにも心が要る。狭い心じゃ、何ひとつうまくいかない。表面的にはうまくいったとしても、それは狭い心から見た場合であって、広い心で見た場合、全然なっちゃいない。細部が全く行き届いておらず、そこに気づくことすらないのである。
 狭い心の視野と広い心の視野では全然違う。どこが違うのかと粋がったところで、狭い心の持ち主は、広い心の持ち主の考えを理解することは到底不可能なのだ。
 高尾山しか登った事のない人に対して、いくら「富士山からの景色はすばらしい」と言ったところで、それは全く理解できないのと同じなのだ。


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