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「優しさ」と「甘さ」(9/9) ~甘やかされたら、怒れ!~ [哲学]

 甘やかすとどうなるかという愚問に対し、一番納得がいく答えは軍隊にある。軍隊は最初から厳しかったわけじゃない。初め数人の部隊であれば、リーダーが直接見ることができるから、そんなに厳しくはない。数人のチームなら命令も単純だ。しかし、所帯の人数が増えてくると、リーダーが直接見ることができなくなるから、だれかが中間でまとめる必要が出てくる。そうなってくると、厳しさがないと末端までトップの命令が伝わらない。だから、厳しさが必要になる。言葉はすべて定義づけ、ルールも複雑に決める必要性がでてくる。ここを甘くしておくと組織はバラバラとなり、戦いに負けてしまう。軍隊なんて組織はあまりにも厳しすぎる。「優しさのかけらもない」というかもしれないが、そりゃそうだ。勝つ目的のために組織された集団だ、そのためには手段は選ばぬ。なぜなら、負けてしまってはその後の生活は地獄だからだ。本人は捕虜となって拷問にかけられるか、運がよくて奴隷だ。家族は蹂躙され、悲惨なことになる。そんな歴史を人間は繰り返してきた。そうならないようにするために、軍隊での優しさとは、厳しくすることなのだ。それは大きな会社などの組織でも同じで、そこを疑うトップはいないはずだ。軍隊や大きな会社などの組織が、優しさと甘さを間違えるととんでもないことになるという話だ。厳しくすることが優しさであるということは、そのときは理解できないかもしれないが、後々にわかることになる。誰にでも、厳しくしてくれたことに感謝する時が必ず来る。
 例えば、会社の偉い人に訊いてみればよい。サラリーマン生活の中で、一番感謝している人は誰かと。かならず、厳しく仕事を教えてくれた人の名前が挙がるはずである。決して優しく接してくれた不抜けた上司や先輩ではないはずだ。自分の哲学を持った人に厳しく指導されたことに、後から「よかった」と感じるのだ。何度も言うが、ただ厳しい人はダメだ。そこに自分の哲学を持ち、常にその己の哲学に基づき行動している人だ。哲学が自分と合う合わないはあるかもしれないが、それは頂上へ登るためのルートの違いであり、そんなに大きな問題ではない。サラリーマンである以上、目指す到達点が同じであるなら、お互いを尊重できるはずだからだ。相手を尊重できないというのは、相手の哲学の元が「甘さ」から出ているものであるか、又は、立派な哲学を持っていたとしても、口先ばかりで行動に移してないかのどちらかだ。前者は怠け者で、後者はただの評論家だ。これは、人生において係わりたくない「2大ダメ人間」である。
 結局、法律だって別に好きこのんで複雑になったわけではない。複雑になる必要性があったから、複雑になっただけだ。数人しかいない世の中なら、「殺すな、盗むな」程度で十分だ。しかし、人間の数が増えると社会が大きくなり、いろいろと分化する。で、その社会がさらに大きくなり複雑になると、それに合わせてルールも多様化してゆく。ルールが増えると、細かい部分がわからなくなるから、それを解釈する専門家も必要になる。そして、それを守らせる警察組織や違反者を厳しく裁く組織も要る。変な意図があってルールを複雑化してきたわけじゃない。ルールを保とうとすると公平さが必要になるからだ。公平さを保つには、厳しさがどうしても必要となるわけだ。好き嫌いで逮捕されたら、誰でも嫌だろう。ただそれだけだ。甘くしていたらどうなるかは、いちいち言う必要はないな。
 甘さは優しさでもなんでもない。ただ、人をダメにする怠け者の甘言にすぎない。とするとだ、甘やかすということは、その相手に対し適当に対応しているということになり、実に失礼な話なのだ。その程度でしか相手を見ていないという軽視、又はどうなってもいいやという投げやりで無関心な対応だ。それをやられたら、憤慨するのが筋ってもんだろう。
 そうだ、だから、甘やかされたら喜ぶのではなく、怒るくらいでちょうどいい。「なんで、あなたは優しくないのだ?」と。

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