SSブログ

人間の仕掛け各論「人間関係」(9/12) ~第3の性質「相手は変えられない」 [哲学]

 人間関係第3の性質として、「相手は変えられない」ということがある。多くの精神論者がこのことを提唱しているから、一度は耳にしたことはあるかもしれない。なぜ、こんな性質があるのだろうか。
 合わない相手を何とかしようと考える人も多い。ずっと関係が続くと予想される相手ならば、こんな冷えた関係を続けるのはストレスが溜まる。だから、何とかしようと思い、どこが悪いのか考える。どこが悪いかと考える時、必ず相手が悪いと考えてしまう。「自分はまともで、おかしいのは相手だ」と考える。すると、相手の悪い部分がどんどん出てくる。こんなに悪いところが多いのだから、相手が悪いのだということになる。すべては一方的な考えであることにも気づき、それではさすがに良くないという思いもあり、友人や親しい人に公平に判断してもらおうと、相談してみる。しかし、あなたからの一方的な偏見で相談相手に伝えるものだから、意見は同調してしまう。「そいつの方が悪い!」と、共に憤慨してしまったりする。本来なら、公平な評価をしようと思えば、相手側の意見も聞かなければならないのだが、そこまでの話にはならない。そう、だから相談相手も悪いのは友人の相手の方だと思ってしまい、一緒になってそのことの評論となっていく。相談者は相談相手にもお墨付きをもらったわけだから、「自分が正しい」という思い込みで、相手を正そうとしてしまう。
 元々、関係が悪い相手は、あなたのことを快く思ってないわけだから、あなたの意見など聞かない。自分を中傷しに来たかぐらいの印象だろう。「その部分を直しなさい」的な意見に対し、何勝手なこと言ってんだ?と思うのだ。とりあえず聞き終わった後に、それはあなたの側の意見であり、こっち側にも言い分があるという態度になる。そこから口論が始まる。もう収拾がつかない。こじれるだけこじれて終わる。結局は、人間関係がさらに悪くなって締めくくることになる。
 つまり、これらの一連の流れの根幹には、「相手を変えよう」という意図がある。元々、相手を変えようなんてのは無理だ。相手側から、「どこがおかしいのか言ってくれ」という態度で来るならまだ変わるのかもしれないが、人間関係の悪化する理由としては、お互いが「自分が正しい」と思っていることがある。だから、何の根回しもなしに、相手を変えようなんてことは無理なのだ。相手を無理に変えようとするから、ねじれが生じて戦いや争いになる。これが国家間となれば戦争だ。相手を無理に変えようとか、従わせようとしてきた結果が、人類の歴史である。結局、人間関係を修復しようと考えるなら、自分が変わらないとダメということになる。
 人間も、もうそろそろ気づくべきだろうな。創造主は、人間関係に3種類の性質を与え、対処法を間違えると状況が悪化するように作った。3つの性質を持たせているわけは、正しい方向をきちんと示しているということなのだが、人間はなかなかその方向へ進んでいかない。違う方向に進むとうまくいかないようになっているのに、そのことに気づかない。実は、予め正しい道ができているから、そこをひたすら進んでいけばよいのだ。
 この仕掛けに気づくことこそが、人間関係の意義である。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。