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人間の仕掛け各論「人間関係」(2/12) ~人間関係の存在意義~ [哲学]

 さて、諸君は「人間関係が悪い」とか、「人間関係がよくない」ということに対して、深く考えたことがあるだろうか?いつも、「あいつとは合わない」とか、「あの性格が苦手」だとか、そんな風に対象となる相手について思いを巡らしているはずだ。しかし、本来考えなくてはならないのは、そんな対処療法的なことではなく、「なぜ、相性が悪いとか、なぜ合わない人間がこの世に存在しているのか?」という事実だ。人間は創造主によって作られた。これはアニキ哲学の真理のひとつだが、ここから考えると答えは容易に出てくる。創造主が性格の合わない人間同士をわざとたくさん世に送り出したことの意図を探ればよい。もし、創造主は性格が合わない人間を世の中に送り込み、それが良くないことだと考えたなら、最初から性格の合う人間だけをこの世に出しただろう。なぜ、そうしなかったのか?相性の合わない人間がなぜ、自分の近くにいるのだろうか?そこをもっと考えるべきだ。
 なのに、世の中に出回ってる本は、「人間関係はこう切り抜けろ」とか、「人間関係をよくするには…」とか、そんなものばかりだ。それはただの対処法だ。こんな本をいくら読んでも、人間関係はよくならない。無数の性格の人間が存在する中で、対処法だけで解決するはずもないのだ。対処法の本が悪いと言っているわけではない。偉い学者さんが研究して書いた本なのだから、確かに得るものもある。要はすべてを鵜呑みにするなということだ。対処法はノウハウ本だ。万人に当てはまるわけがない。腑に落ちるところだけを取り入れれば良いのだ。
 ところで、ノウハウ本といえば、アニキが昔はまったホットドッグプレスのデートマニュアルと同じだ。人間という生き物相手に、同じマニュアルで通用するはずがないということがよく考えればわかるのだが、若い時は聞く耳を持たない。目の前の獲物しか見えてない。アニキは当時、「人が信じたものを否定する者こそが悪者だ」という偏見で突っ走ってたバカ者であった。今でこそそれはよくわかる。
話は逸れたが、そもそも、人間関係がなぜ存在するのか?これについて書かれた本は今のところない。人間関係の対処法などアニキに言わせれば、ただの血止めだ。大事なのは人間関係の対処法ではなく、人間関係の存在意義であり、その理解だ。人間関係の存在意義がわからなければ、本当の対処はできない。そこに早い段階で気づくべきだ。この「人間関係の存在意義というものがあること」、ここに気づくだけでも、人生は大きく変化する。なぜなら、人間関係とは自分の人生の前に立ちはだかるハードルだ。100M走だと思ってスタートしたら、コースにハードルが置いてあったら、「なんだよ!」と思うだろう。しかし、100Mハードル走だと最初からわかっていれば、なんでもないはずだ。腹の立つ話ではない。アニキは何が言いたいのかというと、「人間関係には存在意義がある」ことを知ることは、自分がこれから走るレースは「100Mハードル走なのだ」ということを、走る前から知ることなのだ。走り始めた時にハードルに気づくのではなく、走る前に自分の目の前のコースにはハードルという障害物が最初から置かれていることに気づく。ハードルが置かれてあることを了解しているのかどうかということだ。

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