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サラリーマン輪廻(1/9) ~サラリーマンは奴隷の進化形~ [哲学]

 世の中の社会人のほとんどは、サラリーマンだ。要するに、使われる側の人間だ。使う側より使われる側が圧倒的に多いのは、太古の昔からの社会のしくみだ。そりゃそうだ、常識で考えても、羊より羊飼いが多いわけはないのだから。
 サラリーマンが多い理由は他にもある。人間が生まれ変わるそのしくみだ。使う側の少数派とは、使われる側の魂レベルより低い。使う側の魂レベル方が高いだろうと考えがちだが、それはこの世界での勝手な論理である。魂社会、つまりあの世というか、生まれる前の世界では、魂レベルの高い人ほど悲惨な境遇の人に生まれ変わる。魂レベルの低い人は、耐えられるプレッシャーの大きさに制限があるから、耐えられないと簡単に自殺したり、自暴自棄になったり、犯罪を犯したりと、いろんな問題を起こす。だから、生まれる時にはイケメンで生まれたり、大金持ちの家に生まれたり、抜群の頭の良さを持っていたりと、人間としての境遇はよい。それに、使う側の魂レベルは、動物から初めて人間になった魂とかも多いらしい。おたくの社長も実は前世は犬か狸だったかもしれないのだ。なんだよ、俺たちはそんな獣に使われてんのかよ!とがっかりするかもしれないが、落ち込むことはない。君たちも何百万年も前は動物だった可能性は高いのだから、気にすることはない。大事なことはそこではない。じゃあ、まずはその圧倒的多数のサラリーマンという人種の社会的価値を考えてみよう。
 実はサラリーマンとは、奴隷が進化したにすぎない。奴隷から丁稚へ、丁稚からサラリーマンという進化の流れだ。何が進化したのかというと、自由になるお金が増えただけだ。給料が増えただけである。それ以外は何も変わっていない。「そんなはずはない、カラダも奴隷に比べれば自由じゃないか。」と思うだろう。確かに、見た目の自由は獲得できているものの、精神的な束縛でがんじがらめだ。しばられている鎖が眼で見えるものなのか、眼で見えないものなのかという話だ。そして、その鎖が短いのか長いのかだけのこと。言わば、給料が上がったついでに、眼に見えない鎖に変えてもらい、長さも長くしてもらっているだけだ。サラリーマンとは、奴隷の進化形であることを理解する必要がある。アニキの過去ブログでも主張しているが、「物事の本質を見抜け」は、ここでも同じだ。サラリーマンの本質とは、奴隷の進化形なのだ。じゃあ、奴隷の進化形とは、何を意味するのであろうか?杭を抜くことができない象の話を聞いたことはあるだろう。

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