SSブログ

人生の準備期間「学校」(2/17) ~技能がないことが技能~ [哲学]

 「技能がないことが技能」について補足しよう。
 野球やサッカーだけが技能ではない。例えば、代々続く老舗の企業やお店の跡取りとして生まれること、これも技能だ。跡取りとして生まれたなら、それだけで人生の選択肢はない。職業選択の自由はない。生まれた時すでに、将来のレールが敷かれている。跡取りという技能を、生まれた時すでに持っているからだ。だから、アニキ哲学においては、技能がある人は残念だと言う。それが目の前に立ちはだかり、それ以外の可能性をなくしているからだ。まあ言ってしまえば、跡取りはそういう星の下に生まれたことがデメリットであるけれど、それを決めて生まれてきたのは自分自身なのだから、哀れむ必要はない。アニキ哲学では、「自分の人生は自分で決めて生まれてきた」というのがある。生前に親を選んで生まれてくるという説が今は主流だ。アニキもこの立場を取るから、老舗企業の跡取りという不自由な状況も、自分で選んだのならしかたない。それでプラスマイナスちゃらである。何のことはない、世の中は平等にできているのだ。

 じゃあ、技能があることは本当にデメリットなのか?ということだが、確かにデメリットでしかない。いまを時めくサッカーを例にとってみよう。子どもの頃からサッカーが上手だからと、プロを目指してしまい、運悪くプロになれてしまったら、それは悲劇なのだ。ワールドカップに手が届くレベルの技能がある選手はよいが、プロの世界では日の目を見る人はごく一握りだ。大概は、スピンアウトする。しかし、ずっとサッカーしかやってきてないものだから、他へのつぶしが利かない。サッカー関連の仕事にしがみつくしかない。だから現在問題となっているのが、Jリーグで芽が出なかった選手の再就職先がないことだ。プロを辞めても、サッカー関連の仕事に就くことすらできない。少年サッカーチームのコーチぐらいしかない。そこは、給料もメチャクチャ安い。でも、仕方ない。さらにだ、今のご時世は少年サッカークラブが乱立して、子どもの取り合いだ。サッカーコーチも、子どもを勧誘してインセンティブをもらうことで稼いでいる。サッカーしかしてこなかった人達が、営業をやらされているわけだ。だから、Jリーグの各チームでは、資格取得の斡旋や一般サラリーマンへの転職斡旋がさかんに行われている。芽の出ない選手達には早いうちから転職を薦めているのが実態だ。この状況は、サッカーに限った話ではない。プロスポーツ界はどこでも似たような状況だ。ただ、選手人口が多いサッカーにおいて、社会問題が顕著化しているだけだ。

 な、中途半端な技能があるより、何の取り柄もない人の方が幸せだろ。だから、自分にはなんの取り柄もなければ、そのことにガッツポーズすべきなのだ。「俺には、何の取り柄もなくてラッキー」だと。「何の技能もないこと」がどれだけ有利な技能なのかということだ。友達の中で、スポーツができるだとか、勉強ができるだとか、そんなくだらない技能をひけらかす奴がいたなら、「かわいそうに」と言って同情してやればいい。

 そして、貧乏な家に生まれたら、いろんな可能性にチャレンジできることに感謝して、それを喜べ!

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。