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「オーナー社長」という生き物の生態(11/11) ~会社は誰の物?~ [哲学]

 クリスマスキャロルという話をご存知だろうか。中学か高校の英語の教科書に出てきたよな。この話は強制的に完全変態させる話だが、こんなことは現実には起こらない。特に、右上がりで伸びている会社のオーナー社長は、己の力に慢心しており、だれの意見も聞かなくなる。自分がすべて正しいと思い込んでおり、それに意見する者は悪であり遠ざける。だから、人の意見を聞かないオーナー社長は、自分で気づくしか道はないのだ。急成長した会社のオーナー社長はさらにその傾向が強い。氷山に向かって突き進む船の船長に御注進したところで、「うるさい、俺の進路に間違いはがない!」と一蹴されてしまうのがオチだ。そして、氷山に突っ込むのだ。だから、それがわかっている従業員は早々に船を下りるだけの話だ。大体、10~15年ぐらいで終わる会社は、理念や行動哲学がなく、そこで働く従業員の「立場の心」もわかってないバカ殿が指揮する会社だ。

 人数が増えると、会社は別の生き物になる。10人の会社と100人の会社は全くの別物だ。そして、100人の会社と200人の会社でも全く違う。要するに、人数が異なると会社はその様相が変わるため、それに見合ったような組織作りが必要になる。組織だけではない。社長と末端の従業員との思いがひとつでなければ、会社ではない。それは、ただの群れである。だから、そこに魂を吹き込む作業が一番重要な仕事となる。

 繰り返すが、そのためには従業員による「会社の心」と、社長による従業員の「立場の心」という相互理解が不可欠なのだ。そのベースがあって初めて、魂を吹き込むことが可能となる。そして盤石な組織となる。100年も続くオーナー企業はこれがきっちりできているはずだ。

 会社はオーナーである社長ものではない。社長のものであるとしたならば、それは起業した直後の状態までの話だ。そのあとの会社とは、社長とその従業員とで作り上げて発展したものだ。だから、会社が機能しているのであれば、それはもう社長のものではない。確かに法律上は社長のものかもしれないが、そんな意識では従業員はついて行かないだろう。アニキに言わせれば、社長はただの出資者にすぎないのだ。会社とは、「そこで働く人達と、彼らが作り上げた機能」だ。社長一人で会社を大きくしたわけじゃない。従業員がいなければ、会社は大きくなっていなかったはずだ。ならば、「それを作り上げた従業員そのもの」と、その彼らが作り上げた結果、すなわち「今存在する会社の機能そのもの」が会社であろう。俺がオーナーだと気取っているような社長がいる会社じゃ、「立場の心」がわかってない無能社長だ。「絶対に将来破綻する!」と、アニキは太鼓判を押す。だからそうなる前に、オーナー社長は「完全変態」を遂げなければならないのだ。

 何度も言うが、オーナー社長という生き物は、「会社は自分のものである」というゆがんだ心を持ったがゆえに、人と区別されてしまうのだ。さらに、企業理念を疎かにし、本人の行動哲学もないような状態だから、「珍獣」と言われてバカにされるのだ。

 アニキは別にオーナー社長をこき下ろす事が目的ではない。アニキは何が言いたいのかというと、オーナー社長が未熟な考えでふらふらしていちゃ困るということだ。社長は、従業員とその家族の人生をも背負っているはずだ。行動哲学もない、企業理念もないなんていうお粗末さで、従業員の人生を背負っていると胸張って言えるか?と問いたい。もっとよく考えてほしいということだ。そうなると、理念・信念を疎かにできないということが見えてくるはずだからだ。

 それは違うという社長がいたら、アニキの前に連れて来い。思いっきり説教してやるから。
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