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アニキの「信者論」(9/12) ~無理矢理な信者「お節介」~ [哲学]

 相手が仕事上で困っているなら、全身全霊で助けてあげればいい。それは大きなチャンスだ。そうじゃなくても、手助けの材料など身近にゴロゴロころがっている。例えばスマホの設定でも何でもいい、それに困っているなら手助けしてあげるだけでいい。自分がそのことに詳しくなくても、調べてあげればいいのだ。それが相手に取っては大変喜ばれることなのだ。お節介を焼くぐらいでちょうどいい。だから、雑談する機会を増やして、相手の困り事を聞くという機会を作るとこから、信者作りはスタートするのだ。
 怠け者であっても、ここだけは怠けてはいけない。「相手の困り事に力を貸す」、ここを怠けなければ、人生はうまくいく。がしかし、1回助けたから信者となるかと思ったら大間違いだ。それは、相手によっても異なるが、何度もやることになるだろう。それを地道に続けていくうちに、「この人に助けられてばかりはいられない」と、相手は大きな気づきを得ることになる。その瞬間から信者への道が開ける。
 タナボタでもいいから、ひとりでいい、まずはそこからだ。自分の信者がひとりできると、それが癖になる。人間の原紙機能のひとつ「喜ばれるとうれしい」のスイッチが入るからだ。伸びる営業マンも実は根っからの怠け者だ。しかし、信者の大切さはわかっているから、それを得ることのみを追求してゆく。困った時に助けてくれる関係を作るために、自分からまずは助けること心がける。心はいつも「いざ鎌倉」だ。喜ばれるとうれしいという麻薬を体験すると、自然と怠け者でも信者獲得へのスイッチが入ってしまうのだ。
 一方、「喜ばれるとうれしい」という人間の原始機能を生きがいにしている人種がいる。この人種は世界中にいる。日本でも近所にたくさん生息している人種だ。それはどんな人種かわかるか?そこには共通するキーワードがある。前回も少し触れたが、「お節介」だ。そこいらの近所にいるお節介なおばさんだ。お節介おばさんはなぜか人気がある。街の商店の店先で店番をしているおばさんがお節介焼きであれば、結構、商売繁盛しているのだ。また、繁盛している居酒屋は、必ずといっていいほどお節介焼きの女将がいるもんだ。お節介を地で行くおばさん達には敵がいない。相手のことを考えすぎるという問題はあるが、悪気はない。親切心の固まりにはだれも逆らえない。無敵の強さを誇るのだ。お節介おばさんの中には、すべての状況に対してあるべき姿がある。年頃の男女は結婚しなければならないと、無理矢理縁談の話を持ってくる。痩せている人には何が何でも食わせようとする。悪い言葉で言えば、親切の押し売りなのだが、そんなことはお構いなしだ。
 お節介とは、無理矢理な信者であり、臆病者や怠け者にはうってつけの信者だ。しかも、いじり倒されるのだが、親切心という土台の上に成り立っているために、憎めない行為だからだ。しかもお節介焼きのその性質は、一方的な信者であり、そのカテゴリーは母親と同じである。本人に喜ばれるという見返りはどうでもよく、常に己の都合で行動を取るところは、非情に母親に似ているのだ。
 古き良き時代の日本には、「お節介」という無敵の信者がいたのだ。世界に誇る日本のおもてなしの精神のひとつを作り上げているもの、それがお節介だ。

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