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人生テクニック「上位概念」(6/8) ~上位概念の使い方~ [哲学]

  「信念⇒軸⇒哲学」なんて流程図を見ると、なんだ?ほとんど違いはないんじゃないかと思うかもしれないが、これらは明らかに違うものだ。ここを少し説明しておこう。
 何度も言うが、まず信念ありきだ。自分の信念を作り、それを持って生きるのだが、信念は抽象的だから、具体的に日々の行動に落とし込むためには、簡単にする必要がある。それが軸である。軸を持って行動し、その軸がブレないように生きる。それを習慣づけて試行錯誤しながら人生を生きるようにすると、いろんな結果が出てくる。その結果は納得がいく時とそうでない時がある。これが経験だ。この過去の経験を自分なりに分析すると、一つの法則ができあがる。それが哲学だ。アニキはいつもうるさいくらいに言ってる「哲学とは人生の判断基準」だと。つまりは自分の中の法律だな。言わば心の裁判所のような存在だ。
 裁判所は法律という判定基準を使って判断するのだが、法律は完璧じゃない。社会が複雑になり、科学も進歩すると、今まで使っていた法律だけでは判断できないことが出てくる。法律に隙間があったり、人によって解釈が違ったりする。それを社会の道徳やなんやかんやで揉んでリーズナブルな答えを見つけて裁判所は判定する。それが判例となり、法律に準ずる規範となる。自分の哲学とはつまりは裁判所の判例のようなものだ。
 話を元に戻そう。なんで裁判所の話や哲学の話をしたかと言えば、物事の判断規準が自分の中にないと、上位概念を使うことができないからだ。概念が二つあり、それが見方によって変わる。二つの概念について、それぞれ自分の哲学がないと比較ができないのだ。上位概念で優先順位を決めたり、正しい選択したりする。そこに自分の哲学がないと、選択する度に迷うことになる。そうなると、毎回選択がブレたりするから、他人から見れば、一貫性がないとか、ポリシーがないとか陰口を叩かれることになる。逆に、哲学があれば、何事が起ころうが、自分の哲学に照らし合わせて、すばやい判断ができる。切れ者と言われる人達は皆、自分の哲学にて物事を判断してきた。しかも判断がすばやい。一般人には難しい判断でも、簡単にすばやく判断してしまうから、切れ者と言われるのだ。が、べつに切れ者が特別すごいわけではない。我々も切れ者になりうるのだ。そのためには、生活や仕事で起こるいろんな事象に対して、哲学を持つように努めなければならない。切れ者は目指してなるものではない。物事に対して常に上位概念ですばやく判断するという癖をつければよいのだ。
 では、上位概念はどう使うべきなのか?例えば「失敗」という概念がある。失敗は事実ではない。アニキ哲学では、失敗も概念だ。それは、見方により変わるからだ。アニキ哲学においては、「見方によって変わる性質の物事」を概念と呼ぶ。国語辞典に載っている概念の定義とは少し違う。なんだかわかりにくいかもしれないが、話が長くなるから、また別の機会に詳しく話そう。まあここではそんなにきにしなくてもいい。ここで言いたいことは、「失敗」も人によって解釈が異なるということだ。つまり、失敗も成功であると捉える人もいるということだ。仕事上ではたとえ失敗であったとしても、人生においては「『うまくいかなかった』という学びの機会を得た」という成功だ。人間における上位概念は、人生が上位で仕事は下位だ。仕事では失敗かもしれないが、人生においては学びを得られたわけだから、成功であると考える。
 上位概念とはこう使うのだ。

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