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「折れる」と「妥協」(4/4) ~人生のヒミツ~ [哲学]

 そう、「自分から折れる」ことにより、「相手からの歩み寄り」という見返りを期待した場合、それがなかったら大きなガッカリ感を味わう。「見返りがなかった」というガッカリした気持ちは憤りに変わり、ストレスとして自分に跳ね返ってくる。それはストレスという見返りと言ってもいい。自分から歩み寄ったにもかかわらず、相手側からは何の歩み寄りもない、ましては何の反応もないとくると、人間は腹が立つのだ。
 相手からの歩み寄りだけではない、それがお礼の場合もある。細い路地で正面から来る人に道を譲ったが、お礼の言葉がなかったというような場合だ。軽い会釈だけでもと期待しているところに、何のリアクションもないのだから、「なんだ、この野郎!」というマイナス感情を抱いてしまう。マイナス感情は大きなストレスであり、カラダを蝕む元となる。だから、このストレスという見返りだけは絶対に避けなければならない。ただでさえ日常の膨大なストレスを抱えているのに、さらにダメだしする必要はない。すべての運を左右するのはストレスだ。ストレスの蓄積で人間は病気になり、それで感情がマイナスになり、運が悪くなるというメカニズムだ。そんなくだらない見返りをもらうくらいなら、最初から何も期待しないことだ。「俺が好きで勝手にやったことだ」ですべてを済ます。「なんでも人に譲るのが俺の趣味なんだよ」と、日頃から決めていればよいのだ。前々回の高速道路の話もそんなことだ。
 話は逸れてしまったが、アニキが言いたいことは、人生は「自分から折れる」のが正解だってことだ。それを心に決めて人生を生きる。それが人間関係の修行である。一見、容易に見えることなのだが、継続して実行するのはかなりしんどい。偉そうなことを言ってるが、アニキだって全然できてない。自分から折れるというのはなかなか厳しい荒行なのだ。
 がしかし、若いうちから折れるっていうのも、おかしい気もする。折れるというのは、若い時からいろんな経験を積んで達する境地であり、人に教えられるものではないからだ。「自分から折れる」のが正しいというのは当たり前なのだが、その学び方には考え方がいくつかあるようだ。若い時は丸い人間っていうのもちょっとつまらない。若い時は多少のカドがあった方が味があるってもんだという見方もできるからだ。
 過去から挫折を繰り返し、いろんな経験を通して、真理を学ぶというのが人間の姿だが、アニキは人生80年と考えるなら、早めに気がついて修正する方がよいという立場を取る。寿命が200年もあるならば、それでもいいだろう。しかし現実は80年ほどで、それは人間に仕掛けられたしくみである。これに従うことを正とするならば、しくみに気がつくのは早い方がよい。若いうちに気がつけば、それだけ有意義に人生を過ごせると思うからだ。正しい方向じゃない場合、病気や怪我、運の悪さなので、その方向が間違いだと教えてくれる。人生のヒミツのひとつがここにある。
 そして繰り返しになるが、結果は同じであっても、「妥協」では意味がない。妥協ではストレスを生むことになるから、カラダは悪くなる。もし、「自分は折れている」という信念の元に人生を過ごしているにもかかわらず、うまくいってないのなら、他の要因も考えられるのだが、自分がやってることは「妥協」ではないかと疑ってみる必要がある。必要なのは「妥協」ではなく、「折れる」だ。ここを自分に問いただしてみれば、うまくいかない理由が見つかるかもしれない。
 「自分から折れる」という行動は、あくまで能動的でありプラスでなければならない。そして、このことに早く気づくかどうかが人生で試されている。気づかないまま妥協を続け、人生の大半を病気に追われて過ごすことだけは避けた方がよい。ここに、他の生物にはない人間のしくみのおもしろさがあるのだ。

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