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人間の仕掛け(7/7) ~総論まとめ~ [哲学]

 ここが人生で大事なところだ。自然を相手にするなら、後ろに下がることができる。それは、自然には勝てないと思っているのと同時に、波のしくみもわかっているからだ。しくみがわかっていて、自分には勝てないと判断したことに対しては、人間は後ろに下がることができる。しかし、しくみがわからないことには素直に下がれない。ここに人間の愚かさがある。波という物理的に自分を襲う脅威には対応できたとしても、目に見えないしくみがわからないものには下がることをしない。本来なら、正体のわからないものが襲ってきた時こそ、一歩さがるべきではないかと思うのだが、どうもそうではないのだ。理由のわからない「不幸な出来事」が襲ってきたのに、さらにその場に居たり、逆に前に出てしまうから余計にたちが悪い。だから、より大きな厄介事が起こるのだ。
 前回も話したが、まずは元の場所へ戻ってみること。これがわからない事柄に対して当たり前の対応であり、特に命に関わるかもしれない事態の対処法だ。登山やハイキングで道に迷った時には必ずやることだ。
 でも、これらはあくまでも対処法であり、ただの血止めにすぎない。次に起こる不幸な出来事を大きくしない対処であり、実は何の解決にもなっていない。根本の災難が起こる理由を突き詰めないと、何度でも軽い災難は降りかかり、不幸の連鎖は止まらない。前向きな姿勢を続けることで、不幸を小さくはできているのだが、その根気はいつまでも続かない。いきなり上司に怒られたりすると、前向きな心の壁が崩れてしまう。すると、待ってましたとばかりに、大きな不幸が身に降りかかることになる。いわば、前向きな心と災難との根比べになるのだが、心が折れた時に負けてしまうのだ。でも、前向きに生きる姿は立派であり、アニキ達一般ピープルはなかなか真似できない。
 普通、何か嫌なことが起こるとすぐに機嫌が悪くなるし、気分も悪い。悪いことばかりじゃなく、良い事と悪い事が交互に起こる。その比率は1:1だから、あまり気にならないのかもしれない。でも、こいつをすべて良い事ばかりにすることが可能だとしたら、どうする?そのためには、創造主が人間に仕掛けたことを理解することにある。災難の原因は人間の仕掛けを理解することにより、いろいろとわかってくる。「なるほど、そうなっていたのか」と理解することは、どんな人生勉強よりも重要なのだ。逆に、生きている間は、これだけを研究していてもいいくらいだ。ここがわからないと、人生のおいていろんな努力をしても、その方向が違っていると、思ったような結果が出ないことになるからだ。
ということで、「人間には仕掛けがある」と理解することが大事だ。これが事実であり、その本質を見抜いていくことが人生である。仕掛けに気づくことにより、その仕掛けの意図がわかってくる。意図がわかると、対応策がわかってくる。対応策がわかれば世の中のしくみがわかり、うまくいくように行動する技が身につく。これが悟りだ。悟りとは世の中のしくみや道理がわかり、それに従って生きることだ。真理は生活の中にゴロゴロところがっているから、別に、真冬に滝に打たれる必要はないのだ。荒行しても悟れず、命を落とす行者は過去から数知れずだ。そう、滝なんかに打たれるより、もっと身近なところに修行の場は存在している。人間はこのことにまず気づかなければならない。
 そう、日常生活という身近なところにある修行の場こそが、創造主の第一の仕掛けである。荒行ではなく、日常生活こそが修行の場であると気づくこと、それが創造主の意図を見抜く第一歩である。社会生活とは、人間に修行させる目的で仕掛けた罠と言ってもいいかもしれない。アニキは思う、生きた人間を相手にする日常生活の方がよっぽど荒行のような気がするな。
 では、世の中にはどんな仕掛けがあるのか?個別に見てゆくことにしよう。次回から各論に入る。「人間の仕掛け」総論はここまで。

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