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人間の原始機能「好み」(2/6) ~美人は悪じゃない~ [哲学]

 「白と黒」の話は長くなるから、後日にしよう。ここで言いたいのは、白と黒の中間であるグレーという「あそび」が必要だということだ。好みにもあそびの部分が存在していて、どちらかというとほとんどがグレーな部分が大きいはずだ。白はど真ん中で、黒はストライクゾーンの外である。世の中のしくみから見ると好みの選定はすべてグレー部分からの選択のはずだ。自分の奥さんを見てみるがいい、果たしてど真ん中か?そんな人はめったにいないはずだ。アニキはこのかた、そんな人を見たことがない。好みのど真ん中は手に入らないことになってるのも原始機能なのだ。
 じゃあ、努力したって駄目かって?そんなことはない。努力とは、ど真ん中に近づくための手段ではないか。それを放棄したら、ストライクゾーンの周辺から選ぶことになる。これが妥協だ。ど真ん中から少し反れるのが「折れる」で、ストライクゾーンから反れるのが「妥協」だ。この違いがわかるか。この話は後日ブログ「折れる」と「妥協」で話そう。
 さて、外見の話が出たから、ついでに話しておこう。人間は特に外見が重要だ。世の中では、「外見だけじゃない」ってだけの話だ。すべては外見が先で、中身は後だ。きれい事言ったってはじまらない。これが世の中の真理だ。普通、何かを選ぶ時、人はすべて外観から選ぶ。それは、創造主はそう仕組んで人間を作った。創造主は、人間の進化のためには外見が重要だと考えたから、ひとりひとりの顔やカラダを別々のものにしたのだ。人間の目の機能はそのためにある。
 要するに、人間の原始機能には必ず意味があるのだが、ここでも考えなければならないのは、なぜ創造主は全員の人間の顔をすべて別々になるように仕向けたのかだ。そして、「好み」という機能も人間に備えつけた。それはただ単に好みの集中を防止するだけの目的か。それだけじゃない、わざとブ男で生まれてくる魂もある。つまり、外見を人生の修行の課題としている強者だな。外見に頼らずに幸せに一生を終えようという見上げた魂なのである。これがアニキの、「ブ男ほど心がきれい」であり、「ブ男ほど魂レベルが高い」という結論に通ずるのである。
 好みとは、現世の修行である。好みに惑わされないという修行ではない。それではただの行者という趣味の世界だ。そうじゃなくて、好みをうまくコントロールすることで、幸せな一生をおくることになる。人は太古の昔より、美人に惑わされてきた。クレオパトラや虞美人など絶世の美女により統治者はおかしくなっている。別に美女が悪いのではない。その美女がたまたま彼ら統治者のど真ん中であり、それを手に入れることができる地位にたまたま自分達が居合わせたということだ。実はこの偶然にも見えるお膳立てが彼らの修行であったのだ。美女にうつつを抜かして国を滅ぼしてしまったという歴史では、美人すぎることが悪であるように言われているが、そうではない。その美人がど真ん中であったという好みの原始機能が備わっていただけだ。
 見る人が見れば、大した美人ではないというかもしれない。好みや美人とはとてもファジーな概念で、客観性はない。客観的に見ての美人とはつまり、そう思う人が多いというだけの話だ。

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