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サラリーマンの謎「残業」(5/5) ~前提を疑え! [哲学]

 ゴメン、残業の話からだいぶそれてしまった。話を戻そう。だからだ、残業も人気取りの一つだから、残業代が出ない時こそアピールのチャンスなのだ。「残業代が出なくても平気です」みたいな顔して、バリバリと残業しなければならない。そんな姿に、上司はうれしく思うものなのだ。暗い顔して残業する奴なんかは、すでに終わってるというのが正直なところだ。
 そんな悪しき残業であるが、実は残業はポーズでするものではない。当たり前だよな。残業は悪くないし、もっとやるべきというのが理にかなっている。先にも話した通り、外国勢の陰謀で日本を弱らせる罠にみすみすはまるようじゃ、日本の未来も会社の未来もない。残業が悪いというのは、その内容だ。業務に追われてしかたなく残業する時でも、会社は残業代を出したくないから、サービス残業となってしまう。これも辛いのだが、それ以前に業務に追われる残業は、疲れがどっと出るからストレス以外の何ものでもない。これを続けていると、病気になるのは当たり前だ。嫌々する仕事のストレスの大きさといったら、人間一人を楽に病気にさせてしまう。カラダの病気か心の病気かは人によるのだが、必ずどこか悪くなると思った方がよい。だからアニキは言う、追われる仕事の残業は本来の残業ではない。本来の残業とは、自主的に行うものなのだ。
 仕事に前向きな人間は残業する。これが真理だ。忙しいから残業するのではない。「残業代が出ないから残業しない」という貧しい根性の人間は、仕事のレベルは上がらないし決して出世しない。出世しないと給料も上がらないから、益々腐る。悪循環だ。過去を見てみるとよい、今頂点に君臨する各企業の上層部の人達はまちがいなく残業してきた。それも、ほとんど残業代なんかもらわないサービス残業だ。彼らはそんな微銭より、もっと先を見て仕事をしていたからだ。その結果が現在の地位だ。現代社会においても、仕事ができる人間は残業なんかいとわないし、サービス残業しまくってるはずだ。周りを見てみれば明かだろう、仕事ができる奴っていうのは、苦労をいとわない奴ばかりで、そういう奴らが会社の未来を継いでゆくのだ。で、そういう奴らがやってる残業は、中身が違う。
 ほんものの残業とは、日常の業務をする時間ではない。前向きな戦略をじっくりと練る時間なのだ。そして、仕掛ける時間だ。仕掛ける仕事をするなら、時間はいくらあっても足りないはずなのだ。仕掛ける仕事をする人は、定時で終わるはずがない。現状分析から目標を決める。そのための作戦を練り、徹底的に資料を練りまくる。そして、具体的行動を考えて実行する。そして、その効果を振り返り、作戦の練り直しだ。これは、昼間の喧騒な状況では無理である。昼間は日常の仕事に追われているから、いいアイデアなんかは浮かばない。
 仕事に追われてる人の残業は苦であるが、仕掛け仕事の残業は楽しいものなのだ。さらに、そこに結果が伴ってくれば、残業はさらに楽しくなってくる。これが仕事の極意である。残業が悪だなんて言ってる場合じゃない。残業が悪で、極力残業を減らそうという意識が間違っているのだ。会社の言うとおりにしていたら、能力が上がらないから出世しないし、ライバルに置いて行かれる。このことが本当の「悪」であり、本質を見極めていないのだ。
 何が本質か?を見極めるなら、大前さんも言っている通り、「前提を疑え!」だ。「残業は悪だ」という前提を疑ってみるのだ。この考えがないから見間違うのであり、物事の本質がわかれば、やるべき方向が見つかる。ただそれは、万人が通る道ではないことは知っておくべきだ。少数派がそれを理解することができ、その中のほんの一握りだけが実践する。それが世の中で、会社も国もほんの一握りの人達で動かされている。
 群れをなす羊は、羊飼いの命令通りに誘導されている。「群れからはずれると危ないよ」「エサはないよ」と囲い込まれるが、実際群れからはずれてみなければ、エサがないかどうかはわからないのだが、羊はそんな前提に対する疑いは決して持たない動物なのだ。
 人間は羊じゃない。「残業は悪である」という前提を根底から疑う必要があるということに気付くこと、これが残業の謎に迫ることである。

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