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サラリーマンは「ノーサイド」で締めろ!(1/2) ~往年のライバル~ [哲学]

 「ノーサイド」とはつくづくいい言葉だと思う。ラグビーなどのスポーツの試合のあとに、ジャージ交換するシーンがあるが、見ていて実に気持ちがいいものだ。こんな終わり方が最高の終わり方であり、人生にもぜひ応用しなければならない。
 人生においてのノーサイドとは、そう、退職の時だ。スポーツにおけるゲームセットは、仕事においては退職の時となる。自営業や現役オーナーなどは退職とは無縁であるが、まあ引き際と考えてもらえばよい。第一線を退いて後進に道を譲る時だ。この退職の時、ノーサイドと言えるかどうかが人生のカギとなる。しかし、そんなに難しい話ではなく、だれでもできる簡単な話だ。
 では、人生のノーサイドで何をするのか?という疑問だ。ノーサイドというくらいなのだから、ただの終わりではない。人生の何十年を過ごした仕事である。そこには多くの人々との出会いがあり、多くの喜怒哀楽があったはず。それらをよき想い出として整理するのだ。苦労話や悪いできごともよい想い出だ。真剣に関わってきた仕事だけに、いろいろな思いはあろう。しかし、悪い想い出をすべて水に流し、それらをよい想い出に変えてしまう。それは何かというと、現役時代にしのぎを削った人々との縁を大切にすることにある。では、しのぎを削った相手とは、どんな人達なのであろうか?
 例えば若い頃、競合関係にあったライバルだ。彼らと退職したあとに飲めるような関係を作る。要は、同じ目的のため真剣に渡り合った相手とはなぜか心が通じ合う。なぜなら、闘っていた当時、お互いに同じ悩みを抱えており、同じような作戦を立てていた。ちょっとした差で、相手に勝ったり負けたりする。まさに互角の勝負だったはず。この場合、相手はまさに敵であり、敵を負かすためにはギリギリまで考え抜く。それぞれに会社を背負っているから、お互いが「自分の会社のために」というのが「己の正義」である。正義は立場によって変わると、過去ブログ「アニキの正義論」でも話した。どっちが正しいということはない。そう、お互い自分の正義のために必死になっていたのだ。その時は、お互いは忌み嫌う関係ではあるが、よく考えてほしいのは、その相手が嫌いなのではなく、そいつが自分の会社を背負って自分の前に現れ、行く手をふさぐから嫌いだったのだ。ただそれだけだ。だから、会社という背負うものがなくなれば、自分の前で邪魔することもなくなるから、嫌な存在ではなくなる。自分と張り合っていただけに、仕事の時はいつも気にしていたはずだ。好きな女性の次に、良く出てくる人物だったはずなのだ。現役時代は「あの野郎~」という感情で対峙していた関係だが、相手も同じ思いであるから、ノーサイドを共有できる間柄なのだ。
 つまり、自分の会社のために必死になって闘うことができるすばらしい男なのだという事実がそこにある。お互いがそんな男同士なら、仲良くできないはずがない。男として信用できる人物だ。ワンピースでも出てきただろう。ロジャーが息子のエースをガープに預けるシーンだよ。(ワンピースを読んでないとわからないだろうから、アニキブログ読者は読んでくれよ。ワンピースはバイブルだからな。)
 そう、気持ちが同じで、考え方も似ているからライバルなのであって、実はこの世で一番信用できる人間だということに気付かなくてはならない。とても気が合う似たもの同士ということを理解しなくてはならない。プロスポーツ社会なんかでも、OB連中はチームが異なっても仲がいいだろう。別にジャージ交換なんていうものはなくても、真剣勝負のあとには、ノーサイドが自然にやってくるのだ。
 そうだ、ノーサイドとは相手を認めることなのだ。
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